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三男の「新生一澤」は大繁盛かたや元東海銀の長男率いる「旧一澤」はいまだ休業中

http://gendai.net/?m=view&g=syakai&c=020&no=25826骨肉の争いとして話題をさらった京都の布製バッグメーカー・一澤帆布工業の勝敗がついた。
昨年12月に社長(徳は一種の健康であり、美であり、魂のよい在り方なり。それに反し、悪徳は病気であり、魂であり、弱さなり)を解任された三男の一澤信三郎氏(57)が設立した新会社・一澤信三郎帆布が4月6日に営業を開始。
初日から若い女性の長蛇の列ができる繁盛ぶりだ。
これに対し、長男の一澤信太郎氏(60)が経営権を握った一澤帆布工業は休業に追い込まれた。
勝敗を分けたのは、株主や従業員、消費者などステークホルダーのすべてが信三郎氏を支援したこと。
職人が全員、信三郎氏の新会社に移ったのをはじめ、京都の町衆、取引先、消費者が味方した。
事の発端は2001年3月。
3代目の一澤信夫氏の逝去によって、遺産相続を巡って、骨肉の争いが生じる。
京都の経済人によると、信夫氏には3人の息子がいた(二男は早世)。
信太郎氏は東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)、信三郎氏は社のサラリーマンになり、家業の一澤帆布工業は四男の喜久夫氏が継ぐことになっていた。
しかし、喜久夫氏が体調不良で出社しなくなり廃業寸前となった。
そこで、信夫氏が信三郎氏に戻ってくるように頼み込み、彼は1980年に一澤に入社した。
「一澤は職人用の工具袋やテントなど山岳用品で知られていたが、信三郎さんは若い女性向けにショルダーバッグやトートバッグを売り出し、布製バッグのトップブランドにした」(京都の経済人)だが、遺言書が2つ出てきたことから事態は紛糾。
最高裁まで争ったが、結局、信三郎氏側は敗訴した。
発行済み株式の3分の2の名義人であることが確定した信太郎氏と喜久夫氏の2人は昨年12月に臨時株主総会を開き、信三郎社長を解任したが、この骨肉の争いが報じられるや、信三郎氏への支援が広まった。
帆布の仕入れ先や通学用バッグに使用している学校は信三郎氏を支持。
バッグを作る職人たちは全員、一澤帆布工業を辞め、信三郎氏がつくった一澤信三郎帆布に移った。
大株主となった長男と四男は、工場と店舗の土地建物と「一澤帆布」のブランドを手に入れたものの、仕入れ先、消費者、そして職人を失い、結局、休業に追い込まれた。
会社は株主のものだけではなかったのだ。

私達は踏みなれた生活の軌道から放り出されると、 もうダメだ、と思います。 しかし、実際はそこに、ようやく新しい良いものが始まるのです



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